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帯津メッセージ集

このページは、帯津良一が、医師として、一人の人間として、日々考えていることや思うこと、思想などを綴ったメッセージ集です。

養生訓シリーズ19

老後は、若き時より、月歩の早き事、十ばいなれば、(中略)余日を楽しみ、いかりなく、慾すくなくして、残 ( ざん ) 躯 ( く ) をやしなふべし。

(養生訓、巻第八の 4)

【意訳・解説】 

残躯とは、老いぼれて生き残ったからだのこと。伊達政宗(1567 ~ 1636)の晩年の五言絶句に「残躯天所赦(残躯は天の赦す所)」というものがあります。老後は天も赦してくれるだろうという意味です。益軒は語ります。年老いたら、自分の本来の心の楽しみだけに専念して、四季や山川の景色、草木の繁るのを楽しめというのです。そういう老後を、迎えたいものです。

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老いから学ぶ「大逆転」シリーズ1

第1章「衰え」からの大逆転・・・どうしたらからだを長持ちさせることができるのか?

〔解説〕 貝原益軒の養生訓を参考に「攻めの養生」の姿勢が大事。健康は何かを成し遂げるための手段。健康の先にある志を大切にした生き方が大事であります。 今の状況をしっかりと受け入れた上で、限りある肉体を少しでも長持ちさせるようにしたほうがいい。私の場合は気功をやり足腰を鍛えています。すでに足腰が悪くて思うように外出が出来ない方も出来ることを、心を込めて、一所懸命に足を上げて階段を昇ったり降りたりする。そしてなるべく外に出て人と会い話をする機会を持つことも大切です。

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養生訓シリーズ20

身をたもち生を養ふに、一字の至れる要訣あり。是を行へば長くたもちて病なし。(中略)。其一字なんぞや。畏の字是なり。畏るるとは身を守る心法なり。

(養生訓、巻第一の 12)

【意訳・解説】 

益軒は「畏」という一字を取り上げて、これこそが「身をたもち生を養ふ」ことの「要訣」、つまり秘訣であり奥の手であると説いています。「身をたもち生を養ふ」という表現が風格があっていいですね。益軒は畏れるとは天道を恐れることだとと説いたうえで、畏れから慎みが生まれると言います。天の摂理のなかに、自分の生命があることを知り、その摂理を畏れることで、謙虚に生きるという事でしょうか。

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老いから学ぶ「大逆転」シリーズ2

第2章 「孤独」からの大逆転・・・「孤独」も大事なエネルギー源

〔解説〕 五木寛之さんの『孤独のすすめ』(中公新書ラクレ)という本があります。「歳を重ねれば重ねるほど、人間は孤独だからこそ豊かに生きられると実感する気持ちが強くなってきました」。前書きを読むだけでも「孤独もいいものだ」と思えてきます。五木さんのようにいのちのエネルギーを高めて生き続ける、そして猛烈な勢いであの世に飛び込んでいく。そんな決意がみなぎってきます。孤独を嫌ったり好きになるのではなく、孤独であることが当たり前なんだと受け入れる。それが虚空へ旅立つための準備でもあるのです。孤独こそ人間の本質です。

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養生訓シリーズ21

四民ともに家業によくつとむるは、皆是養生の道なり。つとむべき事をつとめず、久しく安座し、ねぶり臥す事をこのむ、是大いに養生に害あり。(養生訓、巻第一の 24)

【意訳・解説】 

益軒は養生を、隠居した老人や世間から離れてのんびりしている人のものだとは考えていませんでした。養生を知らない人は、昼夜働いて暇のない人は養生ができないのではとは思っているが、それは間違っていると言い切っています。つまり武士も農商工の者も家業に励むことが養生の道だというのです。親から引き継いだ物を大事にする心、先祖に対する感謝の気持ちといったことが語られているように思うのです。

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老いから学ぶ「大逆転」シリーズ3

第3章 「不安」からの大逆転・・・楽しい未来を想像すれば不安は消える

〔解説〕 不安のない人はいないと思います。なぜ不安になるのか、不安というのはだいたい「将来」に対するものが多いだろうと思います。想像の世界にドキドキビクビクしていないで、想像の世界を変えてしまえばいいのです。そういう癖をつけておけば、悪い事は起こりにくくなるし、起こっても立ち直りが早いと思います。また、日々、小さなことに感動して生きていれば不安も少なくなっていきます。そのほうがはるかに豊かな人生になると思うのです。

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養生訓シリーズ22

家に居て、時々わが体力の辛苦せざる程の労動をなすべし。(中略)常に身を労動すれば気血めぐり、食気とどこはらず、是養生の要術也。(養生訓、巻第二の 2)

【意訳・解説】 

養生訓では体を動かすことの大事さを説いています。体を動かすと気血がよくめぐり食も滞らない、これが養生の要点だというのです。益軒は体を動かすことを「労動をなすべし」といいます。人偏のない労動ですが、労働と同様、働くという意味があります。ただ体を動かすだけでなく、働いて体を動かせというところがいいですね。こまめに体を動かすということが、豊かな老後を過ごすための養生なのです。

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老いから学ぶ「大逆転」シリーズ4

第4章 「無力感」からの大逆転・・・「できない」ということは重要な指針

〔解説〕体力がなくなり、社会的地位がなくなったからといって、無力になったわけではないのです。出来ることを一所懸命にやること、やるべきことがだんだん絞られてきたということです。大きなことをやろうと思わず、身近にある小さなことを継続する。そんな気持ちをもっていれば生きる力が沸き上がってくるはずです。「この世でできなければあの世でやる」と思えば、毎日の仕事にも力が入ります。

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養生訓シリーズ23

今の世、老て子に養はるる人、わかき時より、かへっていかり多く、慾ふかくなりて、子をせめ、人をとがめて、晩節をたもたず、心をみだす人多し。(養生訓、巻第八の 5)

【意訳・解説】 

養生訓では巻八の前半に、老人の養い方や老人の振舞いについて語っています。「今の世は、老いて子に養われる人に、若い時より怒りが多くなり、慾が深くなって、子を責め、人をとがめて、晩節の節度をたもつことが出来ずに、心を乱す人が多い」と。この老いて乱れるというのは、一つには、子に養われるというところに起因しているのではないでしょうか。養生訓の研究家立川昭二先生が益軒の慧眼について、老いの豊かさを支えるのは、一に生活費、二つに健康、三つに生きがいであると補足しています。

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老いから学ぶ「大逆転」シリーズ5

第5章 「虚しさ」からの大逆転・・・ 「虚しさ」があるからこそ、こころは動く

〔解説〕 人のこころはすき間だらけなのだと思います。すき間があるからこそ、だれもがこころが満たされないと感じるのかもしれません。こころのすき間こそ、虚しさの根源であり、すき間があるからこそ、いのちのエネルギーが出たり入ったりしてこころが躍動するのです。虚しさもいのちの本質だろうと思います。せっかく長い人生を生きてきたのですから、自分の人生を振り返り、「何のために生きてきたのだろう」といったことを考えてみるのもいいと思います。

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養生訓シリーズ24

凡ての事十分によからんことを求むれば、わが心のわづらひとなりて楽なし。禍も是よりおこる。(養生訓、巻第二の 36)

【意訳・解説】 

養生訓では「すべてのことに完全であろうとすると、自分の心の負担になってしまい楽しみがない。ここから不幸がはじまる。」といい、「〇〇べからず」「〇〇べし」といわれても、それに対して完璧を求めるなというのです。そして「十分によからん事を好むべからず。是皆、わが気を養う工夫なり」完全をもとめないことが、養生になるというのです。

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老いから学ぶ「大逆転」シリーズ6

第6章 「みじめさ」からの大逆転・・・ みじめさは年齢に関係なくやってくる

〔解説〕 年をとった自分をみじめだと思う人は多いと思いますが、忘れているだけで若い頃はもっとたくさんのみじめさを感じていたかもしれません。みじめだと感じる心がみじめな現実を作っていることもあるのでしょう。ある年齢になったら、人と競争したり比較することで自分を評価するのではなく、自分の本質に目を向けるようにすることです。それがみじめさを感じなくてすむ気功型の生き方です。自分のやりたいことを自分のやりたい方法でやればいい、そうすれば楽しい一日が終わり、わくわくしながら明日を迎えることができるはずです。

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